【IT見栄講座】

第4講:『Internet≠インターネット?』

 言葉というのは常に曖昧なもので、使われ方によって二重三重の意味を持ってしまうことがよくあります。学校で「クラブ」と言えばクラブ活動のことですし、1990年代の若者にとっての「クラブ」は80年代に「ディスコ」と呼ばれていたものを指しますし、世の多くのオジサンたちにとっての「クラブ」はまた違う意味を持つでしょう。
 現在の日本で「高速道路」と言えば、まず思い浮かぶのは日本道路公団や首都高速道路公団が敷設、管理する有料高速道路でしょう。しかし、「高速道路」という言葉の意味は要するに「自動車が通常の道路よりも高速で走行することを許された道路」ということですから、実際にはもっと色々な高速道路があるはずですし、広い意味ではレース用のサーキットなども高速道路に入るでしょう。
 いきなり何の話かと思われるかもしれませんが、今回は他でもない、「インターネット」についてです。
 実は、「インターネット」も前述の言葉に似た曖昧さを持っています。言葉の意味としては「局所的なネットワーク同士を相互接続した大域的なネットワーク」ということになります。つまり、ある会社が東京、大阪、福岡の各営業所でそれぞれにコンピュータのネットワークを構築し、さらにNTTの回線を利用してこれらを互いに接続して大域的に利用出来るシステムを作ったとしたら、これはもうインターネットなのです。…でも、何か違うような気がしますね。そう、現在多くの場面で「インターネット」と言えば、それはまず間違いなく、ある特定の大規模ネットワークを指す固有名詞なのです。

 固有名詞の「インターネット」が指すネットワークは、アメリカ国防総省が1969年に生み出した「ARPA-NET」の技術を起源とした、いくつかの大学による実験から始まりました。やがて全米科学財団が公共資金を投入して1986年に運営を開始した「NFSnet」を基盤に、研究目的の情報を共有/交換するためのネットワークとして多くの大学や研究機関の参加を得て拡大し、そして1991年に商用化が解禁されて一般の利用が爆発的に広がり、あれよあれよで地球全体を被い尽くす巨大ネットワークへと発展したわけです。日本では1994年に電話回線を使った一般個人の利用が可能になり、1995年後半から本格的に普及しました。
 このネットワークには全体を統括、管理する責任を持つ機関が存在せず、基本的に全ては利用者に任されています。もちろん技術的な資料や住民台帳のようなものを取りまとめる機関はありますが、全体としては分散管理されています。利用者自身が構築し運営して行くという意味で、技術的にも構造的にも非常にオープン(開放的)であることが大きな特徴であり、また急速な発展の原動力ともなったわけですが、これを起源まで遡ると「ソ連の核攻撃でどこかが破壊されても残りの施設と回線で機能を保てるように」というアメリカ国防総省高等研究計画局のアイディアから来ているということは、少々皮肉にも思えます。
 英語においては固有名詞のインターネットを表す場合に頭を大文字で「Internet」と書いたり、定冠詞を付けて「The Internet」と書いたりすることで元々の意味の「internet」と区別しようとする向きもあるようですが、とくに日本語においては「インターネット」と言えば固有名詞の方を表すことが定着しているため、元々の意味の方には「WAN(Wide Area Network)」という言葉を使うことが多くなって来ています。

 さて、技術的構造的にオープンであることが急速な発展の原動力になったと言いましたが、どうしてそうなるのでしょうか。
 考えてみてください。ある大学の研究室が、室内で使っているコンピュータを相互接続してローカル(局所的)なネットワークを作ったとします。このネットワークは、公開された文書で標準とされる技術に従って作られました。ふと見ると、隣の研究室でもネットワークを作ったようです。よく聞いてみると、やはり公開された標準の技術に従って作られているとか。それじゃあ相互に接続してみましょうということになって試してみると、当然ながらバッチリと接続に成功、運用出来てしまいます。お互いに、いきなりネットワークの規模が二倍になったわけです。これはもしやと思ってよくよく調べてみると、大学内のあちこちで同じようなことが起きていました。それじゃあ全部接続してしまえ、で、学内ネットワークの出来上がりです。一夜にして規模は数十倍。それではもしや隣の大学も…いやいやそれなら隣の県も、はたまた隣の国も…。あれよあれよで世界規模ネットワークが構築されてしまいましたとさ。
 もちろん現実はこんなに安易ではありませんが、標準とされる技術が細部にいたるまで検討され公開されているということの意義の大きさはおわかりでしょう。少々乱暴な言い方をしてしまえば、相互接続されたそれぞれの部分が標準に従って自分の面倒だけを見ていれば、全体の運営を云々する必要なく全てを利用出来るということです。何やら世界規模の仲良し村の話をしているように思われるかもしれませんが、実はこのことは「IT革命」を引き起こすビジネスの変化にも密接な関係があります。
 食品加工業を営むA社が、社内で使っているコンピュータを全て接続してネットワークを作りました。経理や発注処理、在庫管理などに使っています。どうせならと日本各所に点在する営業所や工場のコンピュータも接続して、発注処理を自動化し、全ての経理や在庫の管理を一元処理出来るようにしました。この会社のネットワークはインターネットで標準と定められている技術に従って作られており、実際に社内ネットワークに接続されたパソコンからインターネットのメールを利用したり、WWWブラウザで情報を集めたり出来るようになっています。ある時、大口の納入先であるB社も同じ標準技術に従ったネットワークを構築してインターネットに接続していることを知り、それならと検討してみたところ、インターネットを経由してB社のネットワークと相互にデータをやりとりすることで、見積もり、発注、納入伝票から請求書の決済までを、新たな機材を導入することなく、運用システムの少々の変更だけでほとんど自動化出来ることがわかりました。これは好都合というわけで早速このシステムを実現し、取り引き処理の自動化で経費が浮いた分を見込んで納入価格を引き下げたところ、取り引きがスムーズになった上に価格が下がったのだからということで、B社からの発注が倍増しました。それではもしやと思って材料の仕入先であるC社に関しても調べたところ、C社は独自仕様の社内ネットワークのみで運営されており、ネットワークの相互接続は不可能とわかりました。それでもメゲずにインターネットをリサーチしてみると、C社と同じ商品をより安く、ネットワーク接続による取り引きで提供出来るというD社が見つかりました。早速コンタクトを取って検討した結果、A社は仕入先をC社からD社に切り替えることになったのでしたとさ。
 もちろん現実はこんなに単純ではありませんが、ごく大雑把に言えば、これが最近よく耳にする「eコマース(電子商取引)」の正体です。技術の標準化、オープン化がある種の革命を起こしていることがおわかりになるでしょう。共通の技術を採用することで、企業内ネットワーク間の垣根が取り払われ、地理的な制約や規模の大小に関係なく、みんなが同じ土俵でビジネスを展開出来るというわけです。

 一方で、とくに個人利用者がよく認識しておく必要があるのは、インターネットは公共の場であるということです。これは単に「そこで発信した情報は世界中に流れる」というだけのことではなく、情報が通る経路も公共のものだということです。通常個人利用者はプロバイダにお金を払ってインターネットを利用するので勘違いしやすいのですが、プロバイダに払っているお金はあくまでも利用者とインターネットとを接続するためにプロバイダが用意した機材やサービスに対しての支払いであって、インターネットの利用にお金を払っているわけではないのです。
 つまり、インターネットは公共の道路のようなものであり、それを利用する者にはルールに則った行動が要求されるのです。インターネットにおいて、経路に大きな負荷をかけたり、標準から外れたデータを送信して経由点のコンピュータを混乱させたりといったことで他人に迷惑をかけるのは実に簡単です。コンピュータは色々なことを驚異的な速度で自動処理していますから、知らずにとんでもないことをしでかしてしまうということもありがちです。しかし、知らなかったから許されるというものでは決してありません。公共の道路で交通ルールを無視して他人に迷惑をかけたとしたら、知らなかったでは済まないでしょう。インターネットでも同じことです。利用するには最低限の知識とモラルが必要だと言えます。インターネットの利用者は「お客様」ではないということを、各自が肝に銘じておくことが大切です。
 もっとも、こういった文章を読んで「その通りだ」と納得してくれる人には、元々問題がないことが圧倒的に多いのですが。

2000/10/25

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