【本の感想】

『幻の特装本』

 ベストセラーとなった(らしい)『死の蔵書』の続編。はっきり言って凡作。

 ミステリ要素のレベルは「なんとかサスペンス劇場」とほとんど同じレベル。ただ、そのテよりも何倍か複雑で何十倍かダミー要素が多いというだけのことだ。
 描かれるキャラクターは、どれもこれも非常に類型的。人間は基本的に善人と悪人(または馬鹿と利口)に分かれるという非常に単純明解な価値観が、本作の根底に強く感じられる。もちろん一部の娯楽時代劇のように完全に二種類の人間しか出てこないわけではなく、境目の部分で悩んだり迷ったり道を踏み外したりする人間は出てくるのだが、それは単にそれだけのことであって、クッキリ境目が存在することには変わりがない。こういう価値観の上に描かれる物語はとても安心して読める(観られる)というメリットがあるが、人間ドラマとして読者(観客)を感動させることは出来ない。
 あとは娯楽作品としてどれだけ楽しませてくれるかということになるのだけど、本作はそちらの方でもあまり出来が良くない。単にキャラクターの人物像が類型的なだけでなく、その役割まで類型的で、意外性というものが全くないのだ。頭の良い向こう見ずな若い娘は自らの行動で墓穴を掘って窮地に追い込まれ、主人公が動く原動力になる役、その友達の不幸な身の上でも明るい娘は主人公にヒントを与える役、有能なキャリアウーマンは主人公と衝突しながらも大いに協力する役、うぬぼれ屋の刑事は主人公のピンチを作ったり出し抜かれたりする役、目端の利く悪党は、その行動力と主人公の憎しみを買うことでストーリーを進める役、貧しくも暖かい家庭の健気な主婦は「過去の悲劇」を隠して謎を成立させ、最後にそれを明かす役、と、全てこの調子だ。完全に「なんとかサスペンス劇場」のパターンにはまっている。

 謎についても非常にありがちかつ説得力のないものばかりで、完全に予想の範囲内に収まっている。「予想の範囲内」というのは「何が真相なのかをすぐに見通せる」ということではなく、簡単に組み立てられる何十通りかの予想のうちの一つ(またはいくつかの組み合わせ)がアタリで、しかもそれは他のものに比べて特別に説得力があるわけではない、ということ。出来の良くないミステリの典型的な形だ。
 例えば、「ある家で妻が殺され夫が行方不明」という事件が起きたとする。夫の行方としては

  1. 「夫が妻を殺して逃げている」
  2. 「妻が殺され夫は連れ去られた」
  3. 「夫は別の場所で殺されている(後で出てくる)」
  4. 「夫は妻を殺した犯人から逃げている(警察に駆け込めない理由がある)」

 というようないくつかのパターンが思いつく。次に「夫には数年前から愛人がいた」という事実が判明する。これを今出たパターンにあてはめると

  1. 「夫が妻を殺して逃げている」
    1. 「夫は愛人と一緒になるため妻を殺した」
    2. 「愛人が妻を殺して夫と一緒に逃げている」
    3. 「愛人が持ち込んだトラブルで夫は妻を殺さざるを得なくなっり、愛人を追いかけている」
  2. 「妻が殺され夫は連れ去られた」
    1. 「愛人のために事件に巻き込まれ(愛人から何かを預かったとか)、連れ去られた」
    2. 「愛人に陥れられ、連れ去られた」
  3. 「夫は別の場所で殺されている(後で出てくる)」
    1. 以下、2-xと同じように続く...
  4. 「夫は妻を殺した犯人から逃げている(警察に駆け込めない理由がある)」
    1. 以下同文...

 などとなり、これに新たな事実が加わると更に枝分かれして…ということになる。途中に判明する事実で「2-1-3-3はあり得ない」などということも出てくるが、結局何十通りかは残る。そしてラストで「愛人から預かった手帳のために妻は愛人の元夫に殺され、夫は犯人から逃れるために姿をくらますが愛人のことを思って警察に駆け込めなかったのだが、愛人は既に別の場所で殺されていた」ことが明らかになり、夫は犯人に危うく殺されかけたところで救出される(これはあくまでもこの場ででっち上げた例であって、本作とは全く関係ない。念のため)。つまり、4-1-1-4-3-6が正解だったわけである。…「だからなんなの?」だ。ここに至ってその手帳に何が書かれていたのかが明かされても「それがどうした」である。結局4-1-1-4-3-6-5だったというだけの意味しかない。いいかげんにしてくれ、だ。これが、「予想の範囲内に収まっている」ということである。
 つまり、「色々なパターンが考えられるが、実際にはどうだったか」という謎があって、その答えがあるというだけのプロットである。こんなものは謎とは言えないし、だからミステリとも呼べないという意見もあるだろう。この類の「謎」を扱う場合には、早い時点で「真相」を暗示する伏線を張っておき、後でそれに気付いた読者が納得するという形に持って行かなくては面白くならない。その伏線の張り方が露骨で下手くそだと、お粗末な「謎」がそもそも疑問ですらなくなり、最低の駄作になってしまうのだが。残念ながら、本作ではそれがあまりうまく行っていないように思える。
 ミステリの典型的な謎のパターンにはもう一つ「不可能な筈のことが起きる(行われる)」というものがある。一体どうやったのか、という謎である。これは単純に、「真相」にどれだけ説得力とリアリティがあるかという問題になる。もちろん、効果的な伏線が張られていればなおいい。上記の形のプロットと組み合わせれば、「容疑者の中で、アリバイのある奴が真犯人だった」というような演出も出来る。ミステリを名乗る作品では主にこちらのパターンの謎に重きが置かれることが多く、これがメインテーマになることも少なくないのだが、『死の蔵書』ではストーリーの中に一要素としてうまく織り込まれていた。しかし、本作ではこれが全くない。「真相はどれだ」という類の「謎」しか現れず、その答えには説得力がない。要するに、ミステリの技巧としてはほぼ最低ということだ。

[★ ネタバレ部分を呼び出す ★]

 では、本作のミステリ以外の要素についてはどうかというと、これもそれほど出来は良くない。メインのおかずとなる古書と古書業界に関する記述は相変わらず豊富で説得力もあるが、前作が「古書店主と掘り出し屋」を中心に据えてなかなか特殊な味を出していたのに対して本作では「職人とコレクター」の話なので、これは別に古書業界でなくても同じだろうと思える部分が多く、かなり新鮮味に欠ける。「パート2の悲哀」と言ってしまうことも出来るが、それだけではないように思う。
 また、本作にはほとんど職人とコレクターと業界人と、それに理解を示す人しか出てこないために、バランスとしての「一般人の視点」が感じられず、全体の価値観が偏っている。全体が偏ってしまっては業界の裏話も特異性も当たり前のことでしかなくなってしまうし、読者が同調できない部分は不気味に感じるだけだ。これも新鮮味をなくしている一因だと思う。
 それぞれのキャラクターについては前述のように魅力がないし、会話はそれなりに気が利いていたりもするが「軽妙」には程遠い。今回は覚えておきたいセリフもなかった。
 主人公の行動とその結果があまりにも間抜けなのはわざとなのかどうなのか、とにかく少々驚いたが、それで却って多少の親近感を感じることになったのは、自分でも意外で面白かった。

 本作には端役でヘネシーが登場するのと数カ所でリタの名前が出るだけで、その他は全く前作の要素を持ち込んでいない。かなり潔い態度だとは思うが、それを賞賛する気持ちにもなれないのは、やはり作品自体の出来が良くないからだろう。どうやら今後もシリーズとして続くらしいが、とくに読みたいという気も起こらない。…でも、次回作を書店で見かけたら何となく買って帰ってしまうような気もする。私もかなり「本」に取りつかれてはいるらしい。…なるほど、だからシリーズものはよく売れるのかもしれない。

 それにしても、『The Bookman's Wake』という原題に対して『幻の特装本』という訳題は、あまりにもダサイんじゃないかなあ?

1997/10/23
『幻の特装本』
ジョン・ダニング著
宮脇孝雄訳
ハヤカワ文庫HM(タ2-2)

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