スナップ・スクラップ(2000年)

そうかもしれない

 最近の大型書店にはベンチに座って休める休憩所があったりして、私のような軟弱者には非常にありがたい。体力を使い果たしてしばらく座っていると、そういう場所に立ち寄るのは親子連れが多いことに気づく。なるほど、本来は体力のない本好きの野郎などよりも、小さな子供を連れた親にこそありがたい場所なんだろうな、と思ったりもする。
 その日私の正面に座ったのは、若い母親だった。4歳くらいと思われる男の子が、その周りを駆け巡っている。何やら子供特有の高テンションで、やたらと元気で騒がしい。大きな声でしきりに母親に話しかけている。母親の方は疲れているのと面倒臭いので、「ああ」とか「うん」とか、ぞんざいな返事をしている。親というのは消耗する仕事なんだろうな、などと思って眺めていると、母親は今買って来たらしい本を袋から取り出した。派手な表紙に大きくタイトルが書かれているので、どうしても目に入る。『超図解EXCEL97』。
 私は缶ジュースを飲みながら、「おやおや」と思わず苦笑い。この手の「カラー図版満載だから解りやすい」という変な理屈の入門書が大いに売れてしまっているという現実を目の当たりにしての苦笑いが主ではあるが、子育て真っ最中の若い母親がEXCELに入門する必要が出て来るような時代になったんだな、とか、そういう人物が今買ったばかりの本をすぐに見たくなるほど興味を持っているんだな、とか、色々な思いが交錯しての「おやおや」である。
 相変わらず母親の周りを駆け巡っていた男の子が、母親が取り出した本を見て、ひときわ大きな声を出した。
「あっ、ねー、それ絵本!?お母さんの大きい絵本!?」
 私はジュースを吹き出しそうになった。
 母親はうるさそうに言い捨てる。
「うるさいね、あんたの絵本はこないだ買ったでしょ。」
「うん、でもじゃあ、今日はお母さんのだから、この次はぼくのだね、ね!」
 明るい親子に幸あれ。

2000/10/05

ワイルドカード

 千葉動物公園は、敷地の広さを活かして檻をあまり密集させず、広々と配置している。動物と観客との間に距離を取ることによって檻や金網を排したつくりになっているスペースも多くあり、開放的な雰囲気を味わいつつ動物をじっくりと見られるので、私は気に入っている。
 私は、タンチョウとそれに匹敵する大きさの派手な鳥(クジャクの一種だったか、名前は忘れた)が一緒にヒョコヒョコと歩き回っているのを、手すりにもたれて眺めていた。ここにも金網はなく、タンチョウとその相棒の羽の質感や動きの力感が、生々しく伝わって来る。そこへ、5歳くらいの男の子と、その父親らしい人物が連れだって歩み寄って来た。男の子はたまに動物園に連れて来てもらえたのが嬉しいのか、かなりはしゃいでいる。元気よく手すりに駆け寄って、目を丸くした。父親を振り返り、タンチョウを指差して大きな声を出す。
「ねえねえ、これ、何?」
 動物園ではよく見る光景だ。大抵の場合、こう訊かれた親は一瞬言葉に詰まり、それから慌てて動物園が用意した表示を探して名前を読んでやり、一応親の威厳を保ったつもりになる。しかし、この父親は違っていた。即座に、平然と、こう言い放ったのである。
「トリ。」
 男の子はほんの一瞬戸惑ったような顔をしたが、とくに裏切られたと感じているようでもなく、同じ調子で続けた。
「…ふーん。じゃあ、じゃあこっちは?」
 息子が指差す大きく派手なもう一羽を一瞥して、父親は言う。
「トリ。」
「…ふーん…。」
 男の子は、「なーんだ、つまんない」とでも言いたげな声を出したが、一応は納得したようだった。そして、すぐに次の動物を目指して走っていった。父親は悠然とその後を追って歩き出す。
 私はあっけにとられて親子を見送った後、大笑いしそうになるのをこらえるのが大変だった。父親とは、こうあるべきなのかもしれない。

2000/09/30

猥雑な家

 だいぶ以前の話になるが、ある時期、JR秋葉原駅前の広場が何人かのホームレスの寝場所になっていたことがあった。場所柄として大きなダンボール箱が手に入りやすいのか、彼らの「家」はどれもかなり立派な出来だった。
 ある時数人の友人と広場の前を通りがかった私は、立ち並ぶ「家」の一つに目を奪われ、思わず立ち止まった。金網の向こう側にガッチリと据えつけられたその「家」の壁は、牛柄だったのである。
 なかなか洒落た外観だ。恐らく家の主は柄などに頓着してはおらず、ましてやそれがどこから出たどういういわれの代物なのかなど少しも考えず、単に大きくて丈夫なダンボールということで使ったのだろう。それだけに尚更、傍から見る分には洒落が効いているように思える。
 ならば他の「家」はどうなのかな、とよくよく見てみると、それぞれの壁にある文字の中にはなかなか強烈なものがいくつか。「ストリートファイター闘魂伝説」、「機動戦士VガンダムHGモデル1/144」、「ときめきメモリアル藤崎詩織ストラップ」…。折しも、秋葉原に「ヲタク系」ショップが増殖し始めた頃だった。なるほど、これこそが場所柄ということか。
 私は秋葉原という街の猥雑さから来るワクワクするようなエネルギーを感じつつ、口元を緩ませて、友人たちと目的地へ急いだ。

2000/09/30

車中の紳士

 休日の昼間、JR総武線に乗って新宿方面に向かっていると、秋葉原から乗って来た大勢の人の中に、一人の老紳士がいた。老紳士、などという言葉はなんだか芝居がかっているような気がするが、その人にはピッタリ来るように思えた。落ち着いた物腰のその老人は、古風なスーツをキッチリと着込み、帽子とステッキを小脇に抱えていた。白い口ひげをたくわえていたりもする。カッコイイ。私は素直にそう思って少々目を奪われた。老紳士は手にしている小冊子のようなものに目を落としつつ、悠然と私の隣に座った。
 当然と言えば当然だし、野暮だと言えば野暮ではあるが、私はその人物が読んでいる小冊子に興味を引かれた。このスマートな老紳士は、何を読んでいるんだろう?老紳士の目がかなり熱心にそこに注がれているのをいいことに、私は少し顔を横に傾けて、その手にある小冊子を覗き見た。
 それは、携帯電話端末の説明書だった。
 一瞬唖然とした私は、その後しばらく横にいる老紳士に対して、なんだか親しみが持てて嬉しいような、妙に残念なような、複雑な気分を味わった。どちらにしろ、全く手前勝手な話ではある。

2000/08/01

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